工事部Tです。
今回は入社から20年を振り返っていきたいと思います。
楓和工業 入社
3年生の夏に進学から就職に突如変更。
卒業半年前に『いい就職先ない?』と進路指導室に飛び込み、先生を困らせた。
先生方の尽力で数社探していただき、その1つが楓和工業。
通勤3分という好条件に歓喜し、入社。
初めての現場
ヘルメット・安全帯(道具)など必要な物を全て支給されたが、
こんな重いものを腰につけて仕事するのかと動揺。
現場に入ると協力会社の方に『いい工具揃えてもらったなぁ!』と
羨ましがれて得意げになった。
作業では高校で専攻していたのが土木分野なので、
即戦力になれると意気揚々と乗り込むも
衛生配管(埋設管)ではなくプラント配管(空中管)でまさかの職種違い。
社長や先輩に職種間違えたとは言えず少し悩むが、
とりあえず3年は続けようとロスジェネ世代(※)のハングリー精神で対応。
※ロストジェネレーション世代・・・就職氷河期世代のこと。
山に配属
社長から『T、山(やま)に行くか?』と言われ配属先決定。
山とは以前、四日市市にあった廃棄物処理センターの愛称。
現場責任者の城山さんにちなんで山と呼ぶと思っていたが、どうやら違うらしい。
仕事内容はメンテナンス(修理、改造、整備、清掃、点検など)作業で
先輩の作業補助をしながら作業方法などを学ぶ。
責任者として現場へ
2~3年経つと責任者として工事を任され、先輩の現場を引継ぐ。
4~5年目には見積、安全書類、報告書などを1人で作成できるように。
しかし国語力やまとめる能力がないので、精度は✕。
時間をかけて完璧に作るより、とにかく早く提出して間違いの指摘をもらう方が
効率がいいことを体験。
待っている人からの
『早く出せ!』
『とにかく出せ!!』 とは怒りではなく救いの言葉と意識を改める。
現在
メンテナンス工事責任者になり後輩を教育する立場に。
ずっと携わりたかったタービンメンテナンス工事を初めて受注。
メンテナンス作業を20年しても、未だに初めての作業が沢山あるため、
この先は経験ではなく応用だと開き直る。
良い会社にプロジェクトが始動して、部署責任者が集まり月1会議開催。
会議内容を動画撮影してYouTubeにアップするというのを動画撮影後に聞いて
知らない間にユーチューバー。
さらに、試作の会社パンフレットにまさかの顔出し(実名)写真が掲載。
Tだから好き放題ブログ書いていたのに….
まとめ
3年続けてみようが、いつの間にか20年。
これからも色々なことに興味を持ち、チャレンジする気持ちを失わないよう
探究心、向上心を持ち続けたい。あと趣味も持ちたい。