ジェットコースターな日々

お疲れ様です。

今回ブログを担当します、楓和工業 佐藤です。

お願いします。

年々ブログの周期が早く感じております。


さて、今回はテーマを指定されております。

『入社~現在までの仕事について』

かなり悩むテーマです。


もう楓和工業に勤めて約25年になります。

社長と同じ、最古の従業員となってしまいました。

かなり古いうっすらと覚えている記憶を思い出していきたいと思います。


入社前は別の会社でフォークリフトに乗って倉庫整理などをしていたのですが、

当時は全くやる気がなく、会社を辞めることばかり考えていました。

社長にポロっとその話をすると、「じゃあ、うちの会社で働く?」と軽く言われそのまま入社した記憶があります。

(当時は社長のお父さんが経営する会社であり、まだ楓和工業は存在しておりませんでした)


当時は3K(きつい・汚い・危険)というよりも、職人世界はかなり怖い人しかいないと勝手なイメージがあり、ビクビクしながら仕事に行っていた様な気がします。

ですが、段々慣れてくるといい人ばかりで、よく仕事終わりにご飯やお酒をご馳走になりました。

ただ怒られる時・怒ってる時は、死ぬかも!と思うぐらい怖かったです。

今思えば良き経験になり、知識となって今でも仕事の役立てるなと思います。


1年ぐらい過ぎてから、忘れもしない初出張がありました。

当時は約1ヵ月ぐらいと聞いていたのですが、結局半年ぐらい行きました。

現代では考えられない、出張内容(ここでは書きません)で夜逃げも考えたこともありました。

ただ、少しずつ出張内容がよくなり何とか耐え忍びました。


写真は当時製作していた水上木造ジェットコースターです。


夏場はすごい暑く、冬場は凍るほど寒く、本当に大変だった記憶があります。

完成時に試運転でジェットコースターに乗りました。

何もないところから組立を始め、暑い・寒いのを我慢し、高いところで足がガクガクしたり、腰が砕けるような重たい荷物を持ってよじ登ったり、怒られて、死にかけての繰り返しだったものが一瞬で吹き飛び、本当に感動したことを覚えています。

この経験が無ければ、もしかしたら25年も建設業界に携わっていなかったと自分でも思っています。

この工事期間に出張先の宿で、社長が独立したいと話があり、社長・佐藤・城山3名で楓和工業が誕生しました。


当時の自分は全く仕事経験・知識・目標もなく、社長もかなり大変な苦労をした時期でもあったと思います。

少しずつ仕事の依頼が増えていき、徐々に責任者として作業するようになりました。

楓和工業を代表として現場に行くのでかなりのプレッシャーがあった記憶があります。


次に印象深い現場が、三重県の廃棄物処理場(今はもうないですが)を建設工事~メンテナンス工事~休炉工事まで約8年ぐらい携わりました。

メンテナンス工事からは責任者となり、10~20人の作業員と「あーじゃない・こーじゃない」と言い合いながら作業を進めた記憶があります。

入社当時の怖かった先輩方もサポートで快く手伝ってくれたり、アドバイスをくれたりでうれしかったです。

また大手メーカと直接打合せ、設備・機械の構造・工事計画・工事管理・工事後報告書等の知識も教えて頂き、本当に破棄物処理場での経験が今の私のベースとなっていると思います。


ここまでが入社25年の大体前半部分です。(かなり割愛しましたけど)

後半はまた機会があれば、ご紹介したいと思います。


25年を振り返ると、本当に色々な経験・体験またすごく迷惑もかけてきましたが

常に前進と背中を押してくれている社長や仲間がいたのでやってこれたのだなと思います。



現在楓和工業は、次の目標に向かって社員全員で取り掛かったばかりです。

自分も前進し、部下に自分の経験した知識を覚えてもらうようにサポートします。


最古の人間として責任者として、より良い会社を作っていきたいと思います。


以上です。

 

ご安全に!